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ペット猫のインドですょん♪ トップ
概要
雲の中、視界が効かないところを降下し雨中の着陸だった。
乗り換えに時間があるのでルピーに両替する。
インドと言っているのにインドネシアもルピーなのか「インドネシア?」と聞き返してきた、デリーと言ったらすぐに通じた。
ベンガル湾の真中を通過中。
インド大陸は灯りが点いていて人の住んでいるのが途切れない。
灯りはボーっと集落と思われる範囲が明るくなっているが、光点が無い。
街灯やヘッドライトらしいものが無く、ボーっと明るい。
カンボジアは真っ暗闇だったが、それがくっ付きすぎず離れすぎずに散在している。
川沿いに特に明るい。
サールナートは北インドの中央部に位置し、悟りを開いたブッダが始めて説法をした所であり仏教徒の聖地です。
バナラシ近くで高い煙突が沢山ある。
煙突の周りは赤茶けた盛り上がりになっている。
レンガを作っているという。
インドの民家は全てレンガで出来ている。
道路にも敷いていた。
ここらには石が無いので重要な建築資材だ。
粗末な家に住み修行をする。
元は日本から人力車が伝わり、自転車で引っ張る「リキシャー」が活躍している。
レンガ作りの遺跡は芝に埋もれるように広がり、ストゥーバ(仏塔)や寺院がある。
アショーカ王が建てた石造りの円柱の塔の基部があり、
塔の上にあったライオンの象は近くの考古学博物館にある。
ライオンの象に彫られた丸い模様はインドの国章として国旗に使われている。
サールナートは北インドの中央部に位置し、悟りを開いたブッダが始めて説法をした所であり仏教徒の聖地です。
鹿公園の中にあり、ブッダ・ガヤーで修行していた頃の五人の修行者とここで会い、悟りを始めて語ったとされる。
そして、ここで語られた教えが世界へ広まっていった。
サールナート 赤レンガでできたストゥーバはその塔が土に埋まっていたために破壊から免れ残った。
このストゥーバは何度も増改築されて大きくなったもので、現在も改修されている。
サリーを着た女学生が遠足に来ているダメーク・ストゥーバや仏陀が5人に説法したとされる遺跡や考古学博物館(写真禁止)など。
バナーラスの街車はメチャ走り、ビービー鳴らしながら追い越しを狙っている車を抜いていく。
リキシャーの三輪や、自転車・牛・歩行者・トラックが混在している。
客を乗せたリキシャーは楽しそうに運転しています。
朝食後の休憩にブラブラしようとホテルを出ると入り口に客引きが居てリキシャーに乗れと誘われる、ブラブラと歩きたいのだが誘いが厳しく付きまとい自由にさせてくれそうも無いので散歩を断念。
早々に帰還した。
部屋の窓から見ていると客引きが行ったり来たりしている。
道路ではピーピー警笛がうるさく車やリキシャーや自転車の往来が多いが、外国人が歩いている姿は無い。
でも、空気は春のように清清しい。
子供が生まれると牛乳を飲ませます。
牛は自由に歩いているので乳の出る母牛を連れて帰り自宅にしばらく繋いで置くわけです。
バーラト・マータ寺院はクツを脱いで入る。
中央に大きなインド立体地図がジオラマになっている。
石灰岩のブロックで作ってあり、写真は15ルピー要。
北には高いヒマラヤ山脈があり、南には低い山脈がありデカン高原に続いている。
この間のデリーからコルカタは低い平野になっている。
インド大陸がアジア大陸にぶつかってヒマラヤが盛り上がったことを考えると、この低い部分は元々海に堆積した大陸棚かと思える。
石が無く赤砂岩や赤土それと石灰岩で出来ていることが納得できる。
夜はガンジス川の7人の仏法見学。
バナーラスとはワルナー川とアッスィー川に挟まれた地。
インドの中心である。
インダス文明よりも遥か昔から心の中心になっているという。
東のベンガル湾に向かって流れるガンジス川はこの地では北に向かって蛇行している。
ここで葬式を行えば輪廻転生から開放される。
人々は死ぬためにここへ集まるという。
ガンガーに向かって若い聖者達が祈ります。
聖者は火葬した灰に染まって灰色になっています。
沐浴をしている人も沢山居る。
水は聖水と言って壷に入れて故郷に持ちかえるらしいが、けっこう汚れて見える。
旅行に出るときに病気になるから入るなと釘を刺されている。
ガンガーの岸辺には火葬場があり、木を燃やして焼く。
この火種は遠い昔から絶やすことなく受け継がれた火種です。
火種の価格はその人の払える程度によって決められるようです。
ベナレスに死にに来た人は貧富の差に関係なく火葬してもらえます。
霊の光に包まれた街。
ガートへの路地は盛り場の裏のように狭く込み合っていて、信心するために必要なものが揃っているのでしょうか。
左右から或いは上からも霊的な感じを受ける。
ベナレスの路地のお店。
ミネラルウォーターがあり、ぶら下がっているのは何でしょうか。
牛が年代を想像させてくれます。
ベナレスの路地を見下ろす神々。
ここは、心の中心地。
頭上からも見下ろしています。
シルクの生産地です。
ここでサリーを誂えるとホテルに届けてくれます。
次のタージ・マハールはサリーを着て行きます。
寝台車でアグラへ、クーラー付き寝台車で中は薄暗く感じたが通路が狭くカーテンが両側にあるせいかもしれない。
右が二人席が向かい合って2段、左が一人席2段で、一人席2段の方だった。
二人席2段の方にはサリーを着た人がいる。
手元にスイッチのある共通灯と青い殺菌灯がある。
他にカバーを開くと点灯する個人灯がある。
席には枕X1、シーツX2、毛布X1、枕カバーX1がある。
新聞少年、弁当売り、おかず屋、ビール売り?が来た。
車掌が乗客をチェックしていった。
ベナレスは内陸部にあるが三角州のような土地だろうか?
枕木は水に浸かっているようだし、ホームの工事で穴を掘っていたが中は水浸しになって土を掘っている。
そんな状態だからレールの間に草が生え、これを食べに牛が入り込んでいる。
列車は走っても走っても同じ風景が続く、大穀倉地帯だ。
どこまで行っても未開の所は無い、全て耕されている。
ホテルでシャワーを浴び着替える。
昨日買ったサリーを着てタージ・マハールへ向かう。
入り口は赤砂岩の門で、くぐり抜けて白い大理石のタージ・マハールへは靴カバーをして行く。赤砂岩に溶け込むようなサリーでした。
門の壁は白大理石に宝石を削って象嵌してあります。
大変細密で沢山の色が使われています。
中央の参道は混雑していますが、横には静かなベンチがあります。
明るく静かな時間があります。
タージ・マハールの正面象嵌です。
白大理石の前面に色とりどりの宝石で象嵌が巡らされています。
ムガル帝国シャー・ジャハーンの第一后の墓。
第二・第三妃の墓も近くにあるが見るほどの物ではないといいます。
シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に黒大理石で自分の墓を計画したが作ることができなかった。
赤砂岩の土台に白大理石の墓。
タージ・マハールとはムムターズ・マハールの発音ががなまったものです。
ムムターズ・マハールとは、アルジュマンド・バースー・ベーガムの称号です。
アルジュマンド・バースー・ベーガムとはシャー・ジャハーンが熱愛した第一后なのです。
きさきの名そのものなのです。
皇帝シャー・ジャハーンはその後息子に幽閉される事になります。
青い空に白無垢の墓。
インドが世界に誇る遺産です。
アグラ城、戦いを前提に築かれた城です。
直角に右折して第二の門を潜る、これは皇居桜田門と同じ。
白大理石を使ったものはムムターズ・マハルの部屋で、赤砂岩の上に漆喰で白くした部屋は第2・第3妃の部屋です。インドの人たちにとっては、サリーを着てくれた事が嬉しいようです。小顔の美人から写真を申し込まれました。
ファテープル・スィークリー川から離れた地に築かれた城。
砂漠のラジャスターンへ向かう途中、アグラの南西40Kmにある城址。
3KmX1.5Kmの広大な城壁を築き。
その中央の丘に2年で宮廷を赤砂岩で築いた。
砂漠のラージャスターン。
北インドの西方は砂漠となってパキスタンに続いている。
ジャイプールはピンク・シティと呼ばれていて建物はピンク色をした赤砂岩やピンクの塗装をした壁で囲まれた街である。
風の宮殿の隣には天文学に秀でたマハラジャが建設した天文台がある。
日時計や星・星座を観測するものでインドの占いの元になる星座を個々に観測する専用観測儀もある。
ジャンダル・マンタル(天文台)写真はカメラ一台50ルピー。
大きな石造りの観測儀がいろいろとある。
インドでは各人が生まれた時に空に輝いていた星座がその人の星座になる。
日本の場合は産まれた月日で星座が決まるが、同一日でも時刻によって天球が一回転するのでインド式とは全く違うのです。
風の宮殿内には砂漠的な外観とは異なり、きめ細かい装飾を施した宮殿となっています。
華やかな赤と白を基調とした建物は遺跡ではなく、今も活用されているようです。
インドで娘を嫁に出すのはとても大変なことのようです。インドでは結婚の時に妻が持参金を支払います。そして妻の家から夫の家にダウリを支払います。
結婚後、夫や夫の兄弟達から無心が始まり払えないと暴力に進むケースが起こることがあります。
芸術や科学だげでなくこの種の仕事についても忍耐が必要である。
ペットが満足に後について歩くことを身につけるまでは引き綱をつけて歩く躾に多くの時間を要する。
ここでも二つの命令を教え込まねばならない。
ペットについてくるよう呼びかけるものとそれから解除するものである。
私の経験では後のほうがもっと難しい。
「伏せ」の場合のように「こっちへこい」はペットにとって容易に理解できるがペットをついてくることから解放する「行け」という命令は明らかにそうわかりやすいものではない。
はじめはじっと立っていて「行け」と声をかけペットがそうするまで待っているのが最も良いやり方だ。
ペットがそれまでの歩調や姿勢を崩すことを許してはならない。
さもないと姿勢を崩してもよいのだと考えてすでに身につけている躾の成果を台なしにしてしまうからである。
そのほかに困難なのは賢いペットがじきに引き綱があるかないかに気かついて引き綱が最初にはずされたときしばしば命令を無視することである。
従って最初から強くひっぱられないかぎり付けているのがほとんど感じられないような細くて軽い引き綱にペットを慣らしておくのは良い事である。
この点についてはどうやらペットはその理由についても効果についても理解できないらしい。
この躾のはじめのころは引き綱をつけているときには私がそれを手にしていようがいまいがあるいは自分がどんな遠いところにいようが「ついてこい」という命令に反応を示したものである。
引き綱がなければメスのペットは「自由」でこの命令に反応しなかった。
よく躾されたペットでも引き綱をつけてやってたまには「気分一新」してやったほうがよい。
しかしながら全体として「伏せ」の場合のようにペットが十分に状況を理解しその命令の遂行にあたって熟達を示すようになったときには規律は幾分緩めても良い。
ペットは若いときにこの命令の意味をじきに忘れてしまったがそんな命令をするのがまったく不必要になっていたので不都合なことはなかった。
それが必要な場合にはいつでもメスのペットは命令服従テストで優勝するどんなペットにも劣らぬ完壁さで後についてきたものである。
交通が混雑してきたときにはメスのペットはすぐに自分の意志で後にぴったりついてきた。
駅前に群がるおびただしい群衆のなかですらメスのペットとはぐれる恐れはいささかもなかった。
非常な正確さでメスのペットは私の足どりを追ってきてその首の右側は私のひざの左側にぴったりついていたのである。
好みで;
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