家は高床式である。
高床式は、雨季でも水が来なくて涼しい。
風呂・トイレを使う習慣が無い。
また、カンボジアには電気が通っていない。
ガイドのキューさんは言います。
「カンボジアはポルポトのために文盲の世代もいます。
産物を輸出するにはベトナムを経由しなければならないのです。
今の政治に納得できません。」
ベトナムは1965年頃から1973年までアメリカから爆撃を受け続けていました。
飛行機で爆撃され廃墟にしてから、地上軍が殲滅しに来たのです。
しかし、ベトナム人はあきらめる事なく戦い続けました。
男はトンネルを掘り身を隠し武器を蓄え夜闇に紛れて反撃しました。
女や老人は田畑を作り男の戦いを支えました。
学校は田舎へ疎開し子供を教育し次の世代に備えました。
半地下の教室を作り少ない教材は交代で使いました。
ピアノは一人3時間交代で使ったと言います。
一日に8人が練習できたのです。
昼も夜も無い戦いは未来をしっかりと見据えていたから出来たのです。
教室にはホーおじさんの写真が飾られていました。(ホーチミン)
歌を覚えた人は慰問に行きました。
慰問した軍も病院も次々と爆撃され死んでいきました。
国民が一つになっていたから戦い続けられたのです。
ホーチミン市(サイゴン)米総督府にベトコンが戦車で突入する事によってベトナムが勝利を勝ち取りました。
カンボジアは屍骸に湧いた蛆虫のようなポルポトによって知識人を皆殺しにされていきました。
残った人々は組織して立ち上がることができずに消耗していったのです。
アンコール・ワットが森に飲み込まれた時のように文化が消えていくのでしょうか。
ベトナムがポルポトを撃破して今に至っています。
カンボジアではベトナムの属国にされたと思い反感を持っています。
しかし、学校が出来て子供の教育が始まっています。
道路は人力で栗石を敷き赤土をかぶせて車が走れるように整備しています。
このような地道な教育とインフラ整備で未来が切り開かれると感じた。
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