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ペット猫のバンテアイ・スレイへの道のり
としよりのひとり言。
ここに一本の杜松がある。
ほとんど手入れされていないが、何となく"面白い木になりそうだ"という感じがある。
出会いである。
回転台にのせ、あれこれと検討してみる。
手が動き、時に休む。
ひとところに静止する時間が長くなり、再び回転台が大きく廻って、ほぼ反対側でまた、静止する。
やがて、大きな意志の力で回転台は強く廻り、再び元の位置に戻る。
固定されたかのように、微動だにしない。
眼が輝やき、笑顔すらこぼれる。
正面は決定した。
この瞬間から、おそらくこの種木がもっていたであろう諸々の可能性は、たった一つに凝縮する。
いや、潜在的でしかなかった可能性が、明確なかたちとなって表われたのである。
それは、盆栽としての可能性に他ならない。
一本の杜松は、一つの強い意志の力で支配された。
そして、その意志の中で、さらに新しい生命を得る。
限りない時空のうねりの彼方へと、大きな翼を拡げ、いまにも飛び立とうとするかのような気配を漲らせる。
……手が、動きはじめた。
家畜化の証拠
動物飼育にかかわる最古の確実な証拠は、ジェリコ市舞レスチナの古都]の最下地層や、「歴史の発祥の地」ともいわれるユーフラテス川ぞいのウルク[古代バビロニアの都市]でも発見されている。
発掘によって、ヒツジ、ヤギ、牛や豚の骨が発見されたが、そのうちのあるものは、どんな既知の野生種よりも、こんにちの家畜のタイプによく似ている。
これらの骨は約七〇〇〇年前のもので、欧州からの最初の家畜の出土品よりも、ほんのわずか古いだけである。
エブロ川[スペイン]の西河口の洞窟の壁や、ニュー・カスティール[スペイン]のがけにあるくぼみには、人間が動物に端綱をつけて引っぱっている絵が描かれている。
それらをマグダレニアン期の芸術家たちの作品と比較してみると、描写の技法は幼稚である。
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