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ペット猫のバンテアイ・スレイへの道のり
杜松や真柏は神や舎利のできる代表的な樹種です。
白然の木でもこれら裸子植物(杜松、真柏はヒノキ科ビャクシン属)の多くはすさまじい舎利や神を見せています。
これら樹種の盆栽では、神や舎利の豊富さ、その形態、神の木質(堅さ)などが観賞上の重要なポイントになります。
種木養成中の若木では神の有無にこだわる必要はありませんが、不要な枝を切除するときは枝は付け根から切り取らず、多少のゆとりをもって切り、その部分を神にするのが当然です。
ここで取り上げた素材のように、幹を途中で切断して挿し木する場合、その頂部を天神にして古木大木の相を表塀することができ、また、小萌を立てて樹芯の交替の相を表現することもできます。
美濃では山杜松(ヤマネズ)はせいぜい山の境界線に用いられる程度だった。
所有権のトラブルを防ぐためくクズ木として選ばれたのである。
山道を通るため枝が切り払われたその歩行のための<剪定>が、下芽を吹かせ幹味の妙を生む、結果的に盆栽の素材として採取された。
素材があらかた採り尽くされた現在、残された山杜松は、ひっそりとした自分の時を再び刻みつづけているかのようだった。
中央アジアの遊牧民の女性は、馬の子にさえ乳をやることで知られている。
また、 アフリカの家畜飼育者たちのあいだでは、女性が生命の泉[母乳]を白分の子どもと子牛に分け与えることは、当然のことと見なされている。
このような、人間と幼獣の接触を家庭にもちこむことは、野生動物の飼い馴らしにたいそう貢献したにちがいない。
動物飼育の次の段階は、ふさわしい相手と交尾させることであった。
そこで、小さな群れが牧夫やその飼いイヌに見張られながら、入間の住居の近くで放牧され、その群れはしだいに大きくなっていった。
冬のあいだの動物の餌を確保するため、人間は暖かい季節のうちに、少なくとも草を刈ったり干したりするていどの農作業をやらなければならなかったことであろう。
こうして干草作りが工夫された。
つまり、動物飼育の起源は農業のはじまりとときを同じくしているのである。
そして、この両方の仕事の証拠は、紀元前八000年にさかのぼる。
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