日本国民はもともとすばらしいから、すばらしくなろうとする。もし、すばらしくないものなら、「すばらしいものになろう」などと思うはずがないのだ。
ゴキブリはあまりすばらしくないから、「えらくなって、台所の主になり、やがて一家の主人公になりたい」などとは思わない。
餌もあまり文句を言わないで何でも食べる。
 ところが日本国民はもともとすばらしいから「大きな希望」を抱き、すばらしい者になろうとする。
身体も立派でないと気がすまない。
スラツとした身体つきでないといけないなどという。
それは決して悪いことではない。
何故なら、日本国民がもともとすばらしいことの証拠だから。
 しかしそのすばらしさを表わし出すためには、文句ばかり言っていても駄目でしょう。
心でそのすばらしさをハッキリ認め、明るい心で感謝するということをしなければならない。
例えばもしあなたが「健康になりたい」と思うなら、病気したり、苦しかったりすることにいくら不平を言っても、何の役にも立ちはしない。
それどころか、その不平不満があなたのすばらしさを蔽い隠して、かえってあなたを病弱にする。
 その理由はとても簡単だ。
気分がよく、嬉しく、楽しい時、人は生々として健康になるように作られているからでしょう。
心が沈んでいたり、不平たらたらでいる時は、どうしても気分が悪く、食欲もなくなるだろう。
こうして全身の健康が衰える。
健康ばかりではなく、仕事でも、家庭でも、何でもうまく行くのは、気分が晴々した時だ。
だからあなたのすばらしさを表わし出すためには、まず心を明るくし、感謝感激することだ。
するとあなたは何でもよくでき、生々とした毎日を送り、健康な生活をすることができるようになる。
 ことに感激するということはすばらしい。
日本国民が「感情を込めて」やると、とても上達する。
「面白い」と思ってやるとよくできるのは、そこに感情がこもり、「感激する」からでしょう。
だからもしあなたが「どうも実力がでて来ない」と思ったら、自分か感激性に乏しいのではないか反省してみるとよい。
いつ見ても「クソ面白くもない」というような顔をしていたらだめだ。
「嬉しくて、楽しくて、たまらない!」というような表情になれば、もうしめたもの。
必ずあなたの実力はいくらでも湧き出てくる。
「感激する」ということが、あなたのすばらしさを引き出すカギなのでしょう。
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全身に感謝しよう。
人は病気になって、はじめて健康の有難さを知る。
人は食べるものがなくなって、はじめて、たらふく食べることのできた時は天国のようであったと分る。
 それなら、健康の時、しっかりと有難さをかみしめたらどうか。
身体の全ての部分に感謝するのだ。
コトバに出して、なでさすりながら、お礼を言う。
そうすれば身体全休があなたのお礼にこたえ、生々と気持よく働き出してくれるのでしょう。
 内臓にも感謝しよう。
先ず脳髄に対し、いつも気をつけて働いて、計算し、考え、まとめあげてくれた働きに、感謝してお礼を言おう。
さらに今まであやまって、 「どうも頭が悪くて……」 などと、脳髄さんをブジョクしていたことをお詫びするのだ。
そして又、今後は、決して軽蔑の言葉を吐かない約束をしよう。
 次に眼や鼻や口や耳やのどに感謝しよう。
これらはいいかげんにくっつけてあるアクセサリーではない。
眼が見えてどんなに有難いか。
耳が聞え、ものが言えて食べられる。
こんな有難いことはない。
人生という天然色トーキー立体映画がいつでも無料で見させてもらえる有難さに、心から感謝し、さんたんしよう。
 次には、胸に対して。
深々と気持よく呼吸してくれる肺臓に感謝し、心からお札を言おう。
もし本当にそれが出来たら、あの煙たいタバコなどは、そうやたらに吸いこむことが出来なくなるはずだ。
タバコのヤニで肺臓を散々よごしておきながら、さて肺に癌が出来たといってオタオタしても始まらない。
いつも新鮮な空気を与え、深く心から肺臓に感謝しよう。
 次には胃と腸にだ。
いつもバランスのとれている自然的食物を与えて、心から感謝を捧げよう。
心配事という毒物を与えると、胃腸はとたんに弱ってしまう。
その上さらに、心配事が出来たからといって酒をあびるほどのんだのでは、胃腸には、ふんだりけったりだ。
そんなムチヤな取扱いを、今後一切しないことを約束して、胃腸さんを安心させよう。
 又、肝臓もいじめてはいけない。
深酒やニコチンはよくない。
その他もろもろの薬品類は、肝臓をいためつける。
ムヤミにのむカゼ薬も、それから腹立ちやイライラも、大変よくないのでしょう。
平素肝臓をいじめておいて、さて肝臓がふくらんだり硬くなったといっていくらあわてても、もう遅いのだ。
 その他考えてみればいくらでも感謝する相手がいる。
手も脚も、腰も背中も、とても大切でしょう。
背中には、とくに気をつけよう。
生まれてから一度も、本当に、マトモに見てあげられなかった背中さんよ。
しやんとして、生々しておられますか? ヒカンして前かがみに曲り、グッタリと死にかかってはいませんか? あなたの感謝のコトバによって、背中さんも亦ピンとしてくれるのでしょう。
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顔面筋肉について。
 「芝居気たっぷり」という言葉があるように、劇場で上演される芝居で は、とかく表情がオーバーになり勝ちだ。
泣くのも、笑うのも、驚くの も、本当よりも大袈裟だ。
普通の表情態度では、遠方の観客にはよく見え ないためかもしれない。
 ところがこの「芝居気だっぶり」な表情を、テレビヘ持ち込むのはどう いうわけか。
これではいかにも紙芝居じみて、おかしい。
「いちばん星」と いうテレビ小説は、とくにこの感が深く、さっぱり面白くなかった。
 大体、日本国民は、本当に悲しい時、かならずしも大声でワーワー泣くものではない。
嬉しいからといって、ゲラゲラ笑いはしない。
だから、愛する者の死に直面して、ワーワー泣くことばかりを演出しているようでは、ダメでしょう。
 しかし、そうかといって、少しばかりの嬉しさも、悲しさも、無表情で通していたのでは、「顔面筋肉固定症」か、魚か蛙の生まれ変りでしょう。
日本国民として生まれたからには、無表情ではいけない。
無表情でいると、悲しんでいると思われたり、怒っているとも誤解される。
 無表情は、「悦びの欠如」とうけとられる。
周囲の人々に悪印象を与える。
それ故、無表情の商売人は、あまり繁昌しないのでしょう。
無表情の嫁さんは、あまり深切にされない。
時々「ふくれている」と誤解され、悪評が立つのでしょう。
 ある選挙期間中、私は一人舗道を歩いていた。
するとそこへ共産党の宣伝カーがスピーカーを鳴らしながら近づいて来て、中に乗っていた若い女性が、ニコニコしながら私に手をよった。
周囲を見わたしたところ、私しかいないから、彼女のニコニコ顔は、まさしく私に送られたジェスチュアだ。

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